無題

 

 ※完全に自分語りの文章です

 

 

 

 

今の自分の認知の歪みについて、もしかしたらこうなんじゃないかと気付いたところがあるので書き残します。

 

“失敗を恐れず行動しよう”

 

よく聞く言葉です。自分は失敗を恐れて行動しない人間なのですが、漠然とした“変わりたい気持ち”だけはもやもやと常にあるので、たまにこの言葉を自分に言い聞かせているものの、一向に変化はありません。主に人とのコミュニケーションに関して、恥をかくんじゃないかとか相手に嫌われるんじゃないかとか、自己保身の意識(+面倒臭がり)が強すぎて、頭の中では“積極的に行動した方が自分のためになる”と分かっていても、“何もしない”の選択肢を選んで短期的に楽をして、いつまでも成長の兆しが見られません。

 

果たしてこの状況は、“自己分析ができているだけマシ”なのでしょうか。

これは的を得ていません。行動につながらない自己分析に意味はないのです。自己分析だけをいつまでもいつまでも続け、“なるほど自分はこういう人間なんだ”と理解して、そこで終わってしまったら何の結果にもつながりません。現に、高校時代から自己分析だけを続けた結果として、二留のスキル無し大学生が生まれています。こうなるのであれば、何も考えず行動したほうが百倍マシで(行動してから分析すればいい)、むしろ中途半端な自己分析は「“自己分析をできている自分”に満足する自分」を生み出す麻薬なのです。

 

自己分析を行動につなげるためには、“自分が行動しない理由”に向き合う部分が最も重要です。この文章を書きながら自分で(ほんとに大事だなぁ…)と思わず納得してしまいます。

 

今日気付いたのはこの部分。自分が行動しない理由の部分で新しい発見をしました。

 

例えば中高生の頃、“周りが誰も手を上げない中で、思い切ってクラスの係に立候補してみた”みたいな経験があったとします。

 

何だかんだ、“思い切って行動してみて、最初は苦労もあったけど、最終的にはやってよかった”となるケースが多いと思います。そう思えるのは、自分自身で、経験によって得られたことをポジティブな成長物語として位置づけることに成功したからです。

 

自分の場合、ここがうまく機能していないのではないかと気づきました。行動に移す前の“嫌だなぁ……”の感情とか、途中でかいた“恥”の記憶が強力すぎて、結果として自分のためになったとしても、素直にそれを認められないのです(これ伝わらなさそう)。

 

例えるなら、“レストランで1万円のステーキがあって、悩みに悩んで注文した結果、そこそこおいしかったけど、なんかもやもやする”みたいな。“おいしかった!頼んでよかった!”でいいのに、1万円の部分に固執しすぎて、素直に認められないのです。ディズニーランドのチケットは8200円するけど、楽しかったのならそれでいいじゃないってことなのです。“家にいても他に楽しいことあるしまぁ楽しかったけど8200円は高いよね”とか、“タートルトークで死ぬ程恥かいたし行かなければよかった”とか言ってる場合ではありません。結果として得られたポジティブな面に焦点を当てて、やってよかった!に切り替えることが重要なのです。やってよかった!の感情(自己への納得感)は、次の行動につながり、行動した結果は必ず何らかの糧となり(※)、将来の自分を形成します。

 

(※実際のところは別にして少なくともそう信じた方が自分のためです)

 

ポジティブとネガティブを天秤で測ろうとするのはもうやめにして、ポジティブを最大限に認めることで、“行動した自己”の肯定につながり、積極的な人間へ成長するきっかけになるのではないかと考えました。

 

1500字一瞬で書けた、、、レポートも一瞬で終わればいいのに。ここまで読んで頂いてありがとうございました。