中身のない雑談

誰かと会話をしている時、自覚しているかどうかには差があれど各々には各々の目的があるだろう。今までの僕はこの基本的なところが抜け落ちていた。各々の目的という所に目を向けたことが無かった。特に雑談、明確な会話のテーマが見えにくい会話ではしばしば盛大な勘違いをしていたようだ。日常の些細な出来事を話してもらうと、その出来事から議論を巻き起こすことがしょっちゅうだった。でも○○の方が~というフレーズが自動的に出てくる。しかし、こういう場面において大概の人がなんとなく意識しているのは、単に出来事とか感情とか考えを共有したいという希望なんじゃないかと最近思い始めている。もしそうであれば、〇〇したら?とか、それは〇〇なんじゃない?とか、そういった類の提案とか類推みたいな発言は、あんまり会話相手の意にそぐわないだろう。心理士がカウンセリングの際にとる基本的な姿勢は傾聴だ。〇〇はどう思いますか?とか何歳の時に何がありましたか?とかその時何を感じましたか?みたいに、出来事、感情、考えを相手からどんどん引き出して、アドバイスなんかはひとまずしない。話をした方としては共有出来たことに安堵を感じ、自分を再確認することができる。それだけで十分な場合も人によってはあるかもしれない。心理士という相談専門職のような人でも基本的に求められるのは相手の話に耳を傾けることなのだ。まして普通の人との雑談でどっちが正しいとかどうしたらいいとかの答えは求めないことが多いだろうし、そういう価値観の押し付けみたいな発言は聞いててあんまり気持ちのよいものではないかもしれない。それと、こういう風に聴く姿勢を取っていると、自分が話をする時も相手は話を聴いてくれるようになる、気がする。もしそうなれば、その中身のない雑談は、些細かもしれないけど、winwinなものになるだろう。なるといいな。